子どもが1年生のときに教えてくれた、小学生になって良かったこと。節分が近づくと思い出して笑ってしまいます

 

 

早いもので今年も1カ月を過ぎようとしています。

いつもこの時期になると、どこのスーパーでも鬼のお面とともに豆が売られているのを見ます。

節分が近づいてきて、日も長くなってきた感じがしますね。

 

まだまだ寒い時期ではありますが、節分を過ぎると春まであともう少しという気持ちになって、冬の間どんよりしていた気持ちも少し上向きになるような気がします。

 

この時期、我が家で必ず話題に上る、子どもの面白エピソードがあるのですが、子どもの小さい頃の話は、いつでも周りをほっこりした気分にさせてくれますね。

 

スポンサーリンク

我が子は、節分に鬼がくることを年がら年中気にしています

 

 

小さい頃から「言うことを聞かないと鬼が来るよ」というような脅かすことは言わないように気をつけていました。

忘れているだけで、うっかり言っていたこともあるかもしれませんが、我が子は慎重で怖がりな性格なので、過剰なストレスを与えない方がいいと思っていたのです。

 

それでも絵本で鬼が出てくるお話を読み聞かせるとか、節分には豆まきをするとか、自然に知ることを避けたりはしませんでしたので、鬼のことは知っていました。

 

ただ、本格的に鬼という存在を意識し始めたのは幼稚園に入ってからです。

だいたいどこの幼稚園でも豆まきをするかと思いますが、我が家の子どもも制作で鬼のお面などを作って豆まきをしました。

 

通っていた幼稚園では、その年ごとに父兄の方に頼んだり、自治体のサービスを利用したりするなど必ず鬼がやってきます(笑)

赤鬼や青鬼、最後の年は緑の鬼でした。

 

年少の時の豆まきがとても強く印象に残ったのでしょうね。

その日幼稚園から帰って来てからの数日間、その後も思い出すたびに「また鬼くる?」と聞かれて、正直面倒くさいと思っていたこともありました。

 

後に、怖すぎてお腹が痛くなり早退した子もいたという話を聞いたので、家に帰って来て怖かった気持ちを吐き出せるならまだ安心なのかなと思ったものです。

 

折りにふれて

鬼はいろんな意味で悪いこと現している

見えないけれど、どこにでもいて心に住み着くこともある

不運や悪い心を退治するために豆まきをする

鬼は悪いことを持っていってくれるのだから、怖いだけじゃない

などを、出来るだけわかりやすく話してきかせてきましたので、本当に形として存在するものではないことを理解はしています。

ただ、見えないけれど怖い存在があるということは感じているようです。

 

今日の絵本「かえるをのんだととさん」

 

 

面白くて笑える昔話です。

大人からみたらありえない話ではあるのですが、繰り返して段々と大事になっていって最後はほっと一安心という、子どもが好みそうな絵本です。

 

お腹が痛くなったととさんがかかさんに「和尚さんに聞きなされ」と言われてたずねると、お腹に虫がいるからかえるを飲みなさいと言われます。

素直にかえるを飲むと虫は食べてくれましたが、お腹の中でかえるが歩くのでどうも調子が悪いととさん。

 

そこから、次々といろんなものを飲み込んでどうにかお腹を落ち着かせようとしますが、最後には鬼まで飲んでしまいます。

鬼を追い出すために和尚さんが投げ込んだのは、節分の豆。

無事に鬼は逃げて行って、めでたしです。

 

途中までは食物連鎖になっていて、その後は人が人を飲んだり鬼を飲んだりの奇想天外な展開ですが、よく考えたらちょっと怖いという昔話にはよくあるところも、子どもの頃は深読みせずに楽しめる絵本だと思います。

 

鬼が怖いくらいでちょうどいいのかもしれません

 

 

さて、怖がりな我が子が幼稚園を卒園して晴れて小学生になってから迎えた節分の日。

ニコニコしながら帰って来て発した一言を、私は今でも思い出して笑ってしまいます。

 

ランドセルを置いて、おやつを食べながらしみじみと「小学生になって良かった」と言い出した我が子。

入学してしばらくは、登校しぶりもあったのでその言葉を聞いて嬉しくなったのですが、でも急に何故? と思って聞いてみると

「学校には鬼が来なかったから」

という返事が。

 

楽しかった幼稚園を懐かしがって、学校へ行きたがらない日々もあった中、子どもらしい理由で小学生になれて良かったと思えたなら、ある意味、鬼の効果があったのでしょうか(笑)

 

今でも、得体のしれない怖いものがあるという感覚は持っているようですが、むやみに鬼を怖がることはなくなりました。

でも、どこかで鬼のような怖い存在が見ているかもしれないと思っているくらいが、生きていくにはちょうどいいのではないかと考えています。

 

心に出来た隙や出来心といったものも、鬼が見ていてつけいられるかもしれないと思ったら、簡単に道を踏み外すことはないのではないかと。

 

例えば「神様」や「仏様」、地域によっては「なまはげ」だったり「やまんば」だったり。

そういう、存在するかもしないかも証明できないような事柄というものは、世の中を生きやすいように、先人たちによって長い年月をかけて伝えられた知恵なのではないでしょうか。

 

それが日本の文化だと考えているので、私は我が子にも節分だけでなく1年の行事をできるだけ伝えていきたいです。

文化だけでなく我が子の面白い発言を、孫にも聞かせられる時がくるといいなと思います。

我が子は嫌がると思いますが(笑)