記事内に広告が含まれています

感染症がはやり始めると、思い出します。コロナ疎開の胸がきゅっとなる思い出②

 

コロナウイルスがだんだん広がっていって全国で感染者が増えていっても、2020年の春頃は、まだ私の居住地周辺では感染者が出ていませんでした。

主に関東圏で徐々に増えていっている時期、夫が仕事上どうしても関東にある某市に出張することになりました。

私は、その頃も勤めている医療機関で風邪症状のある患者様の対応もしていたし、自分は感染しても仕方ない立場にいると考えていましたが、自分から家族にうつすことは絶対にしてはならないと考えていました。

それなのに、夫はコロナウイルスが蔓延しはじめている都会へと出かけなければならない。

旅行へ行ったり都会から帰省したりする人を白い目で見る人々が出始めた田舎で、出張から帰ってきたらどうなるのだろうという不安が一気に押し寄せました。

 

 

スポンサーリンク

悩みに悩んで選んだコロナ疎開という選択

移動は新幹線と在来線。
5日間の出張。
当時言われていたコロナの潜伏期間は2日から2週間。

夫がもし感染したら、家族全員がうつるかもしれない。
義父は高齢だし、子どもがかかったら学校でいじめられるかもしれない。
私が感染したら、病院に迷惑をかける。

そんなことが、出張が決まってからずっと頭の中でぐるぐる回っていたことを覚えています。

とにかく家族内感染を少しでも防がなければいけない。
そういう気持ちから、私は夫が帰る日に実家へ子どもとともに2週間疎開したのでした。

義父には話をしたら理解してくれ、孫のためにそうした方がいいとも言ってくれました。
幸い、自宅から実家までは車で10分、子どもも学校へは車で送っていけるし、職場は自宅から近いので、その点については困ることはありません。

当時、風邪症状の患者様の中には隔離されることをバイ菌扱いするのかと怒る方もいました。
その言い分はよくわかります。
今までインフルエンザの患者様でも同じ待合室にいて待っていてもらっていたのですから。

そういう意味で、結局私は夫をバイ菌扱いしたのかもしれません。

今ならそこまですることではなかったとわかるのですが、その時は子どもを守ることで頭がいっぱいでした。
実家の両親も、私も、どこで感染するかわからないのは夫と一緒だし、むしろリスクが高いのは私のように病院に勤めている方だったのに、です。

夫はわかったとだけ言って、あとは今に至るまでその頃のことについて何も言いませんが、私自身はその時のことを考えると、今でもとても胸が痛みます。

 

 

今日の絵本『がっこうとコロナ』

コロナ禍、大人も子どもも生活がガラリと変わりました。
学校では残念ながら、修学旅行や社会見学などに行けなかった学年もありました。

大人も大変でしたが、子どもたちは学校生活の変化でいろいろなことを犠牲にしたような気がします。

一番感性が育つ時期、友達と距離をとって付き合わなければならない、行事の縮小など、その年齢にしか楽しめないことなどがきっとあったはずなのです。

そんな、コロナ前とコロナ禍の学校の様子の対比がよくわかる絵本となっています。

大人向けのコロナ禍の記録はたくさんありますが、子ども向けのものはあまり見かけません。

当時、学校ではどんな感じだったか。
子どもたちはどんなことを我慢してきたのか。

コロナ禍が収まって記憶が薄れつつある今、この記録を残しておくことはある意味歴史の瞬間を残しておくことになるのかもしれません。

 

 

コロナ疎開という判断の是非

 

夫は出張から帰った後、おなかを壊したこと以外は特にコロナに感染したような症状は出ませんでした(もともとおなかが弱い)。

そして、実はいまだに我が家では私を含めコロナに感染した者はいません。
いわゆる不顕性感染しているのか、免疫力が強いのかわかりませんが、両親や兄弟姉妹にも感染者が出ませんでした。
これまでに、子どもと義父はインフルエンザにかかったり、普通に風邪で熱を出したりしましたが、コロナだけは何度調べても感染していなかったのです。

ただ人は不安に駆られるとやはり自分を守る行動に出るものだと思い知りました。
それは、時に人を傷つける行動となるのかもしれないですし、正しいことかどうかもその時には判断できません。

あの時本当はどうするべきだったのか、私は今でもわかりません。

ただ医療の現場にいて感じることは、家族の一人が感染するとおおむね家族内で感染がひろがります。
患者様の感染したときに慌てぶりなどを見ていると、心がチクリと痛みます。

あの時の私の判断の是非は、私が一生考えていかなければいけないことだと思っています。

 

 

タイトルとURLをコピーしました