といっても、なぜだかこの年末年始、私は普段と変わりない気持ちで迎えました。
例年通り、親戚などが年越しにきたり年始のあいさつに来たりもしましたが、いつも感じるような、
「今年も終わりだなあ」
「また1年がはじまるなあ」
などという気持ちが少しもわいてきません。
我が家の子どもは、たまにしか会えないいとこたちと遊んで楽しんでいましたが、年齢的に大晦日に感慨を覚えることもないだろうと思いますし、舅と夫は飲んだくれているしで、いつもの年越しの光景ではあったのですが。
なんとなく、これかな、という理由がわかっているのでみんなが寝てしまってから一人で分析してみました。
予定が多くて、気持ちに余裕がないのかもしれません
冬休みに入ってから、子どもの習い事やクリスマス、姉妹とその子どもの帰省などが重なって、毎日のように外出していました。
今日はなんにも予定がない、という日がなく、年末の買い物や年賀状の準備、習い事は通常の他に、冬休み前に行けなかった分の振り替えがあったり、子どもの耳鼻科受診やクリスマスパーティがあったりと、やらなければならないことが目白押しだったのです。
予定がある、特に子どもが友達と約束してくるなどはとても喜ばしいことなので、出来るだけかなえてあげたいと思いますし、習い事はいつものことで、お正月休みに入る前に副鼻腔炎の薬をもらっておかないといけないのも仕方ない事だし…、とわかってはいるのです。
でも、やっぱり予定をこなしている感があって、気持ちに余裕が持てません。
ほとんどの予定が、自分が好んでやりたいことではないですし、子どものためとは言え、自分の気持ちを曲げてやっていることもあるわけです。
予定がたくさんだと、それに比例していつもより自分の思う通りにならないことが多くなるので、地味にストレスだったと考えています。
今日の絵本「おみくじ」
おみくじのつつの中では、実は、出ていくおみくじの棒を親分の「大吉」が決めているのです。
お賽銭をケチると「凶」のおみくじが、美人さんだと「大吉」が出ていくことも。
親分の気分次第で、おみくじの結果が決まるのです。
そんな話し合いの声が、ある日男の子に聞こえてしまって、不思議に思った男の子に「小吉」を持っていかれてしまいます。
さあ、無事に「小吉」は帰ってこられるのでしょうか。
最後ではおみくじの出番をおみくじで決めると言うユーモラスな結果に。
本当にこうやって決められていたらと考えると、楽しくなってきますよね。
絵本の表紙の見返しは、おみくじしんぶんになっていて、おみくじのことについての豆知識が書かれてあります。
長い人生、そんな気分で年越しすることもありますよね
人間って、やっぱり行きつくところは自分の思う通りに事を運びたいという気持ちなのかなと考えています。
普段は周りのことも見えていて、それなりに人にも優しくできるし気持ちを上手にコントロールすることもできると思いますが、ひとつひとつの間のどこかで、自分の思い通りに出来ることが何かしらあって、それで折り合いをつけているのではないかと思うのです。
それは大きなことでなくてもいいのです。
今、ジュースを一口飲みたい、飲めたというようなことでもいいわけです。
それが今まさに飲もうとしているところで、子どもに呼ばれてそれっきりになってしまったとか、違う用事を思い出してそのままジュースを忘れてしまったなどが続くと、ひとつひとつは小さいのですが、イライラが積もり積もっていきます。
そうすると、私の場合、心に余裕がなくなっていく上にぎすぎすした気持ちになっていくのだと思います。
大晦日の少し寂しいような気持ちや、年始のすがすがしい気持ちなど、思い出しもしないくらいに。